海外に行ったことがないのに、住んでみたいという衝動

わたしはこれまで、海外に行ったことがないという、どちらかというと少数派です。
20年前から、そういう人は珍しい人だと思っていて、近くにきっと行こう、と思いつつ、なんと今、2023年に至っています。
海外に行ったことがないのは、恥ずかしい、とずうーっと思い続けていたので、今初めてカミングアウトしました。
そういったわたしなので、行きたくない訳でも、あえて行かないわけでもなく、しいて言えば、行きたい気持ちは変わらず眠っているが、行くためのタイミングとか条件が整わなかった、というのがその説明にもっともマッチしていると思います。
30歳頃から学校に行ったり、植物療法系の勉強で講座に参加したり、大学に行ったりしていたので、働いたお金は基本、生活費と次々とそれらの学費に流れて行きました。
特に今月に入ったころから、いつもとは違った感覚で海外のことが気になっていたのですが。昨日は、出来れば住んでみたい、とはっきり思った自分を発見しました。
北海道や沖縄、屋久島や小笠原には行ったことがある。
オンラインで会話でも打ち合わせでもできてしまう最近。
飛行機で海を渡ることは北海道や沖縄とで同じなので、国内も海外も大して違わないだろう。と午後の太陽を浴びながら、歩きつつ思ったわたしの感覚は、新しいものでした。
まずは行ったことすらないのに、突然のなにかを境目に、こんなふうに思ってしまう。
そして、それは第三者から見れば「お、おかしいんじゃない?」的な無謀にみえるかもしれないけれど、いま生まれて初めて思ったことのはずなのに、自分の中では、すでにもうまったくナチュラルで当然のことのように思えてしまう。
この兆しは、突拍子もないように思えて、自分の中の次の扉が開いていく、いつものきっかけでもあるので、自分の中に新しい風が確かに吹いてきた。と思います。
さて、57歳、60歳、のわたしは、どうなっているのか。
住むと言っても、1か月なのか、3か月なのか。それともいま話題のダブル拠点のようなものなのか。
その時々の状況によっても、変わってくるはず。
未来には、海外の自然やいのちを大切にしたライフスタイルなど、アンテナが反応したことや、自分自身が感じたこと、考えたことも発信してみたい。
さて、未来をつくる基本のキ。
春から2年は、また働きながら勉強することが決まっているので、5年くらい先を思い描きながら生きることで、いまから未来を自分で作っていこうと思います。
しかしですが、本当に海外に住む自分は、違和感がない、きっと可能かもしれない。
そう思ったときに、恥ずかしいと思ってずっと言えなかった「まだ海外に行ったことがない」ことを、ふつうに書けるようになってしまう。
というのも何か心理的な足かせが外れたのではないか、と思いますね。

わ、うさぎを描いてくれてる✨何気にほっこりうれしい~
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