木や植物が、そこになくなるという喪失感

こんにちは。今日は12月の2週目ですが、暖かい日中の東京でした。

今年も終わりに近づく足音が日に日に近づいてきましたね。ついこないだまで「暑いなあ」と感じる日々の東京だったのに、早いものです。

さて今夜、帰り道の曲がり角にある、少し高くなっている花壇には、ふかふかの濃い黒土が敷かれていました。「あれ?ここって・・・」と思って、思いめぐらすと、そうそう!

ここには、毎年冬から春にかけて黄色い花と、銀色の葉で楽しい「ユリオプス・デイジー」と、春先にたわわな白い花が良い香りの「ハゴロモジャスミン」が植えてあった!とその風景を思い出しました。

無くなっちゃったんだなあ・・・

と、まだ植物があった時の風景や、様子を思い出して、しんみりした気持ちでトボトボ歩いた自分を感じました。

ふかふかの黒土は、抜き取って整備した後に、何かを植える準備なのかもしれません。

それでもそこに、これまであった生きていて、成長する植物がなくなった…といのは、一抹の寂しさを感じるものです。私はかつて、愛犬を見送ったばかりの頃、こんなことがありました。

その時、毎年3月頃、春を告げるように八重咲の華やかな桃色の花をつける木が隣の空き地に植えてある家に住んでいました。ある朝、突然その木が切り倒されていたのです。

真冬のことでした。

愛犬が旅立っても、少しづつ大きくなる枝のつぼみに、春を待つ希望を感じていました。

その時わたしは、もしかしたら心が弱っていたのかもしれません。わたしにとって、とても楽しみだった、桃色で八重咲の花をたわわにつける大好きな木が、突然切り倒されてしまったこと。

これは、思いがけないほど深い悲しみを、しんしんと感じた出来事だったのです。
今でも忘れられないほどです。

あのときから、これまで親しんできた木が伐られてしまうことは、わたしにとって、悲しみを感じることなのだ。と分かるようになりました。

今日の、この数年時期になると咲いているなあ、と楽しんできた植物でも、木ほどではなかったですが、似た喪失感の気持ちを感じたので、書きたくなりました。

木や植物に対して感じる、喪失感はどこからくるのでしょうか。

「みんな、つながっている」ということに、この答えはあるのでしょうかね。

縁あって、ブログに訪問、ありがとうございました( ^)o(^ )

残りの年内、思い残すことのない2023年を過ごしていきましょう!

わたしも、楽しくがんばります😊

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